生き方/考え

働く、今を生きるとは何なのか/大学1年の思ったことメモ

この記事を投稿した日、僕は大学1年生です。4年後、つまり大学卒業後にどうしようかということを最近ずっと考えています。

そこで思ったことをまとめるためにも、僕の考えをここに残しておきます。

自分の力で生きていかないといけない

僕は今、経済的に自立していません。親に扶養されているということですね。

そんな僕も、4年後には社会に出て、経済的に自立して生きていこうと思っています。もしかしたら大学院か何かに進学するかもしれませが。

いずれにせよ、一生親に養ってもらうことは全く現実的はないですし、僕は経済的に自立したいです。

「いつの間にか今の自分がいる」

これはどういうことかというと、大きな目標やビジョンを打ち立ててそれを計画的にこなしていくのではなく、好きなことに熱中していたらいつの間にかそれが仕事になっていた、という感じです。

例えば、IT系で言えば、Appleのウォズニアック氏やLinux開発者のトーバルズ氏はなんかは、最初から「コンピューターやITで世界を動かす!」という意気込みでビジョンをうちたて、そして行動してきたわけではないと思います。

彼らはただ単に「それが好きだったから、楽しいから」、毎日やってきて、いつの間にか今の自分がいた、そんな感じだと僕は思っているんですね。

そして、僕はそんな人生にすごく憧れています。夢のかたまりじゃないですか。もちろん、つらいこともあると思いますが、圧倒的なワクワク感があると思います。

まあ、そうなれるのは本当に一握りの人だけなのかもしれませんが。

「今を生きる」とは何なのか

僕の物事の捉え方、考え方に「アドラー心理学」があるのですが、これは「過去も未来も存在しなくて、あるのは『今』ただここだけ」ということを主張しているんですね。もちろん僕は全てを理解したわけではないです。

思い返せば、僕は高校2年生あたりまではもう完全に「今ここ」だけを生きていたように思います。(詳細はプロフィールを参照ください)

ですが、僕は高校3年から「進路」を意識し始めました。思い返せば、そのあたりから僕は現実主義、合理主義に染まってしまったのではないか、と思います。まあ、当時のメンタル的に先のことなんか到底考えられない状態だったのかもしれませんが。あまり覚えていません。

そして、当時「今を生きていた」ときは、全くストレスがなかったように思います。そして楽しいです。

しかし、刹那主義的なものだと、現代に生きる人間として、なかなか生活が難しいと僕は思うんですね。

だからやっぱり将来は考えないといけないわけです。今の僕であれば、大学卒業後のことです。

例えば僕はIT業界に興味があるので、それに向けたスキルを今から習得する、といった感じです。

「それでいいじゃないか」と思う人もいるかと思いますが、僕が思うのは「これは今を生きていると言えるのだろうか」ということです。

そもそも僕はなぜこんなに「今を生きる」ことにこだわるかというと、自分の人生を後悔したくないからです。

いつか命尽きるときに、「あの時ああしてればよかった」なんて絶対に思いたくなくて、そして過ぎ去ったことを思い出して悩むこともしたくなくて。

じゃあ未来や将来を見ればいいじゃないかとなると思うのですが、人間っていつまで生きられるかなんてわからないじゃないですか。明日の朝もいつもと同じように目を覚ます保証なんてどこにもないわけですし。もちろん、ありがたいことに僕は今健康ですし、ずっと健康で生きていたいです。

どうなるかもわからない将来のために、どこまで日々の時間を割くのか、と。

僕は「生きていくために嫌々働く」というのは絶対に嫌です。仕事をするために生きているのではないので。

Life is not fair, get used to it.

これはビルゲイツ氏の有名な言葉ですが、まさにそうであると思っています。

例えば、僕は英語を学んでいるのですが、現在のグローバル社会において英語が母国語の人であれば自然言語を新しく学ぶ必要性は特にないはずです。

スポーツではDNAに刻み込まれた骨格や筋肉量、アイドルであればその顔やルックス、といったように。

もちろん、誰もが皆それぞれ努力をしていると思います。

ですが、それでももともと持っているものが関わってくる部分はあると思うんですよ。例えば、僕が今からウサインボルトと同じように爆速で走れるかといったら、多分無理だと思います。どんなに練習を積んだとしても。

他にも、どこの国に生まれただとか、親が貧乏だったり金持ちだったりとか、もう言い出したらキリがないわけですよ。

そして、こんなことを考えていると僕は「人間はなぜ生まれなぜ生きていくのか」「宇宙とはなんなのか」というところに辿り着くので、あまりごちゃごちゃ考えずに「生まれてきた以上、最高に幸せな気持ちで毎日を生きる」ことにしています。

だからこそ、変えられることと変えられないことを見分け、できることをやっていきます。そして気持ちの上ではできないことなんかない、なんでもできると思うようにしています。

やるべきこと、やったほうがいいこと、やりたいこと

タスクというのはこの3つにわけることができるのではないか、ということに気がつきました。

「やるべきこと」というのは、それをやらないと生きていくことができないことです。食事とかですね。「やったほうがいいこと」というのは、例えば英語学習やプログラミング学習です。最近の流行りですし、やったらいかにも人生が変わりそうな気がしますよね。そして最後の「やりたいこと」というのは言葉通り、自分が本当にやりたいと思っていることです。

「やるべきこと」はやらないと生きていけないことなので、ここではおいておきます。

「やったほうがいいこと」と「やりたいこと」を比べたときに、やりたいことの方が圧倒的に重要であると僕は思っています。

「やったほうがいいこと」として、英語やプログラミングが流行っていますが、「やったほうがいいのかな」といったような気持ちで、本当にそれが続いて上手くいくことはあるのでしょうか。

そしてやったとしても、「本当にこれが好きだ」という情熱を持っている人に勝つことはなかなかできないと思います。

そして「やったほうがいいこと」というのはほぼ無限にあるわけで。それを全てこなすには人生はあまりにも短すぎます。

できない自分を見たくないだけ

なにか「やりたいこと」があるのに、何かと理由をつけてやらないことってあるかと思います。僕にもあります。「時間がない」「いそがしい」と。

ですが、これって本当に時間がないかと言われればそうではないと思うんですね。本当にやりたいことがあるならば、何としてでも時間を作るはずだと思います。

例えば何となくスマホをいじっている時間だとか、テレビを見ている時間だとか。YouTubeのアプリを開いてなんとなくながめていたら数時間経っていた、なんてこともあると思います。(僕もたまにやってしまって後悔します)

こういった時間を削ったりすれば、「やりたいこと」をやる時間は生まれると思います。

それなのに「やりたいこと」をやらないというのは、

  1. 本当はやりたくない
  2. やったとして、それができない(上手くいかない)自分を知りたくない

ということではないでしょうか。

本当はやりたくないということなら、別にやらなければいいだけです。

後者の問題は根深いです。確かにそれをやったとして上手くいかない自分を見るのは嫌です。僕にもそういう経験はあります。「これ絶対うまくいくだろ!」と思っていたことが全くダメだったり。

ですが、いつまでもそうやって先延ばしにしていても、その「いつか」はいつ来るんだって話なんですよ。

「今」を先延ばしにして何か良いことがあるのかと。

「明日やればいいか」「いつかやろう」といっているうちに、機会や時間はどんどん流れていきます。

「時間がなくて…」と言う人は、「やったほうがいいこと」が多いことを都合の良い理由にして、「やりたいこと」から逃れている、ということもできます。

僕の大学の教員に「就活のために英語を学ぼう」「就職が〜」と言っている人がいて、まあもちろん言いたいことはわかります。

しかし、英語に興味のかけらもない人が就職のためにイヤイヤ英語を身につけたとして、そしてそれで就職できたとします。しかし仕事はまったく面白くない。これって幸せといえるのでしょうか。僕は全く幸せではないと思います。

悩める日々が答えになると思う

いろいろと書いてきましたが、結局のところ、「目標を定めてそこに向かって進みつつ、今をないがしろにすることなく生きる」、つまりはうまくバランスを取って生きていく、ということなんじゃないかなぁと思っています。

すごく当たり前かもしれない結論になってしまいましたが、僕なりに紆余曲折を経て考えついた答えです。まあ、これもいまのところのものなので、変わるかもしれませんが。

何かの参考になりましたら幸いです。

きゃべつ
2002年生まれ。男性。文系学部の大学1年生。 ENTJでHSS型HSPな性格をしています。 趣味はゲームと読書とギター。筋トレ信者です。 詳細はプロフィールアイコンより!
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