生き方/考え

人生に「普通」なんてものはない。

「普通そうだよね」「普通そうするでしょ」と言う人がいますけど、それはその人にとっての”普通”であって、その相手がその”普通”を共通観念として持っている確証なんてまるでないじゃないですか。

「普通」って言葉は一見すると客観性が高いように思えますが、実はとても主観的な言葉だと思います。私の普通、あの人の普通、その人の普通。人それぞれ違う「普通」を持っていて。

それなのに「普通はこうする」だとか「そんなこと普通はしない」とか言う人というのは、ものすごく視野が狭いか、自分を自分で抑制して生きてきたか、のどちらかに過ぎないと思うんですよ。

普通とか、平均とか、安定とか、そんなものあるわけないだろ!

趣味と仕事は分けるべきなのか

この問いはものすごく不毛であると僕は思います。

「趣味を仕事にできるほど世の中甘くない」「仕事にすると楽しめなくなる」

他にも科学的に適切な職業だったり、自己分析だったり、はたまた自分探しなど。

「本当の自分」なんかいないと思うすごく当たり前のことですけど、人生は1回しかないですね。そして僕はいつも「今を生きる」ことを大事にしているのですが、そうは言ってもやはり...

そういったものはある程度の意味はあるでしょうけど(僕も実際いろいろな本を読み参考にし実践してきました)、結局のところ自分の人生は自分のものですし、世の中で言われていること、常識とされることって結構どうでもいいことだと思うんですよ。

僕は前回の記事で↓

23時25分のポテチ(のり塩味)とアイスポエム的なものを書いてみます。ただの徒然草というか、思ったことをそのまま書いただけなので読んでも得られるものは何もないかもしれません。 ...

ちょっとメンタルをやってしまっている内容を書きました。(今は回復しました)どうしてメンタルをやってしまったか端的に言うと、社会に自分を合わせようとしたからです。

「普通の方が楽だよな」「結局ある程度型にハマった方が人生うまくいくかもな」と思い試してみたところ、心に不調をきたしました。数年前までの僕は自分のことをどこか特別だと思い込んでおり、意味もなく「俺すげぇ!」と思っていました。今思えばこれは結構痛いですが、しかし今でもこう思っている方が自然体でいられるので、調子に乗ってこの状態で生きていくことにします(笑)

僕は哲学が好きですが、研究してまで深めようとは微塵も思いません。それは正直面倒です。自己啓発本や哲学系の書籍は確かに参考になります。古くから語り継がれてきたものは重みが違います。でもですよ。自分の人生をより良いものにしようと思ってそれらを手に取ったのに、その内容を実践しようとするあまり自分で自分を縛ったらなにやってんのかわからないですよね。僕はこの状態に陥っていました。

一周回って、一周どころか何周もして、結局僕は僕の生き方を貫こうと思いました。向いていないのに下手に合わせようとするから疲れておかしなことになるのだと。向いている人はそれでノープロブレムでしょう。

今の僕には遊び、趣味、勉強、仕事の区分がありません。それはもちろんとてもありがたいことに親の扶養のもとで自由に生活できているから、ということがありますが、ブログを書くのは好きだから書くわけで、そしてそれを世に公表する度に新たな気づきがあって、収入も得ています。

また最近は音楽を作ってYouTubeに投稿していますが、これは上で挙げた4つの全てを満たしています。好きなことだからずっと曲を作っていられるし、理論の勉強も楽しくできる。時が経つのを忘れます。

そして僕が思っていることで一つだけ断言できること、それは「興味もないし好きでもないことを嫌々我慢してやり続けてうまくいくはずがないだろ」ということです。

仕事と趣味はわけるべきだとかなんだとかこうだとかあれこれごちゃごちゃ考えた僕が導き出した結論は、そういった人は要は

  • 覚悟を決めていないだけ

ということに気がつきました。決めないで迷っていればその間は何かをやった気になるし、やらないでおくことで自分の可能性を無限大のまま取っておくことができます。できなかった時の苦しみを味わうことなくいつまでも幻想の中に生き続けることができます。

でもそれってあまりにも虚し過ぎませんかね。

結局、諦めるのかやり続けるのかは自分の意思で決めているわけで。人は背水の陣を取った時に夢をかなえることができるのではないかと僕は思いました。まぁもちろん全てを器用にこなせるすごい人もいるでしょう。しかしそのような人にも言えることは、人生において全てはトレードオフの関係にあり、そこから逃れる方法はないということです。

そして、やりたいことをやることこそが最強の人生戦略であると僕は思います。社会はものすごい速度で変わり続けているし、読めないです(統計などを駆使してある程度はわかるかもしれませんがそれでも限界はあるでしょう)。そしてそもそも時代の流れを読んでどうすんのというのが僕の思っていることです。

たとえば「これからはITの時代だから」「職に困らないから」といって興味もないのにプログラミングを勉強してエンジニアになったとします。でも、1日に何時間も好きでもない労働に縛られて、それでお金をもらったとしても一体自分は何をやっているんだとなると思うんですよね。で、時が進んでAIが発達して人間がプログラムを書く必要がなくなった時、その人は人生を後悔するでしょう。一体何をやってきたのか、何のために時間を費やしてきたのかと。

興味のないことをやってお金をもらって幸せですか?それは人間の本質とかけ離れていると僕は思います。なんかそういう意味では、大多数の日本の新卒生の就活ってのはやっぱ終活と言えるんじゃないですかね。個性を潰して、自分を偽って。かけがえのない「私」の魂は消えてしまうわけです。

言葉にすると失われてしまうもの

言葉にすると失われてしまうことってあると思います。だから、好きは好き、ときめくものはただときめく、それでいいのではないでしょうか。

繊細な言葉で詳細まで描写するのが良いとされるのかもしれないですけど、別に言葉にすることが偉いわけでもなんでもないです。そもそも人間の感情というのは言語のみで表現可能なものなのだろうかと。だから絵や音楽といった芸術が存在しているのでしょう。

とかいいつつ、僕は言葉、とくに日本語が好きなので、文章でどこまで自分の気持ちを繊細に描写できるのか、ということは一生をかけて続けていきます(笑)。

時間の無駄とは一体なんなのか

YouTubeをダラダラ見ることは果たして時間の無駄なのでしょうか?見終わった後によかったと思えれば無駄ではないし、エンタメ系であっても、その娯楽で疲れが取れたりするなら実に有意義であると思います。

現代人は囚われがちですが、生産性のあることが全てではないですよね(僕は効率化オタクな面があるので、とても人に言えたことじゃないですが)。

YouTubeから新たな出会いややりたいことが見つかることだってたくさんありますよね。料理やスポーツ、音楽の動画をみて、たとえばそこからピアノを始めるってこともあるだろうし。一概に無駄と決めつけるのはなんか違うんじゃないかと思います。

ガンジーが言ったとされる言葉に、「速度を上げるばかりが人生ではない」というものがあるそうです。

自己啓発本は意味がない

いきなり反対のことを言いますが、意味がないことはないです。言葉遊びのようになってしまいますが、意味というのは自分自身がその事象をどう捉えるかであって、どんなことを思っても、ましてや意味がないと捉えてもそれは意味があるということができます。

で、何が言いたいかというとですね、要は自己啓発本に書いてあることは

「自分の好きなように生きよう」

という一言で表せることしか書いてないよね、ってことです。何を隠そう僕が書いているこのブログもそうです。数十記事にわたっていろんなことを長々と書いていますが、主張していることは結局この一点のみです。

僕がブログを書く理由、それは自分の意見を社会に表明したい、インターネットという誰でも見ることができる場所に置いておきたい、お金を稼ぐため、と様々な理由がありますが、一番は自分自身を鼓舞するためのものだったりします。

いつも書いている内容はもちろん読んでくださる方へ向けて書いているものですが、実は僕自身を自分で励ますものだったり。文章を書いてそれを公表したら責任が伴います。自分で思っていることを内に秘めておくだけなら全てが自由で無限大です。そこをあえて書いて世に出すことで後戻りができないというか。そんな感じで自分で自分を勇気づけている面があります。

話が少しずれましたが、金儲けが10割の目的のような悪徳なものを除き、自己啓発本は読んだ人の背中を押してくれるものなので、意味はあります。しかし、ずっとそれらばかり読んでいても行動しなければ現実は何一つとして変わらないということですね。

僕が書く文章は一体何なのか

好きだから書いています。とくに何も考えずに頭に浮かんだものをそのままキーボードを叩いてディスプレイに映し出しています。カッコつけて言うなら、降りてきたものをアウトプットしてます。

ありがたいことに読んで下さった方からの反応もあり、すごいと言われることもあります。とても嬉しいです。

また僕はこのブログをリア友に教えているのですが、読んでもらった彼の感想は、「読みやすさは100点。でも内容は俺も大体知ってる」とのことで、おぉそう来たかと。僕がブログで表明している思想は正直なところ「俺くらいしかいないだろう」と思っていたので、身近なところに似たような考えの人がいて驚きました。まぁ類は友を呼ぶってやつですかね。

だからこそ僕が書く文章は一体何なのかと思ってしまって。まぁでも価値観、思考パターン、知識、経験、こうして書き連ねるとキリがありませんが、自分と同じ人間はいません。だからこそ僕はこうして自分にしか書けないものを書き続けていきます。

公園のカモ理論

雨の日、それも強く降っていればいるほど自然がたくさんの公園によく散歩に行きます。人がほとんどいないので、まるで自分と地球が一つになっているような不思議な感覚になります。

そしてカモを見てなんて可愛らしいのだろうと思い、ぼ〜っとカモを眺めているだけで幸せを感じられるなんて、俺はいったいなんてコスパよく幸せを感じられるのだろうか、なんてことも考えたりします。

しかし帰り道に思いました。それは今、親の扶養の元で不自由なく暮らすことができているからではないかということに。

よく考えたら、自分で稼ぐものといったら、現状メルカリとブログしかありませんでした。アルバイトはやりたくないのでやっていません。そしてこの2つの収入だけでは生きていくことはとてもできないわけです。

穏やかな気持ちを保つことができていたのは、当たり前の日々に感謝できるのは、紛れもなく周りの人のおかげだった。そう考えたらかなり焦りました。「俺何もやってなくね?」と。

もちろん何もやっていないわけではないです。日々自己研鑽に励んでいます。しかし経済的価値を生み出しているかというとブログくらいしか生み出していなくて。もちろん人間の価値はそんなものでしか測れないものではないですが。

「一見すると無料で楽しめて自分はなんて幸せのコスパが良いのだろうかと思うがしかしそれは周りの助けがあってこその幸せであって実は自分では対して何もやっていないんじゃないかということに気が付くこと」

を僕は公園のカモ理論と名づけることにしました。

人生に意味なんかないわけで。

偉人たちが行ってきたものとして、「人生の終わりを想像してみると本質に集中できる」というのは有名ですね。

人生は一回しかなくて、そもそも人生に意味はないですね。でもだから無駄だと悲観するのではなくて、生まれてきた以上過去に戻る、引き返すことはできるわけがないのだから、(タイムマシンができるできないとかはどうでもいい)最大限楽しんで幸福を最大化するということが現状の僕の結論です。

人生は常に変化します。もちろん自分は変わるし、他者も変わる(僕がいう他者とは自分以外の人間全てのことです)。社会も変わる。地球環境も宇宙も変わる。変わらないものなんて何一つとして無いです。

そう考えたら「安定」っておそろしい言葉だと思いませんか。ありもしないのにそんなものを求めて。まさに砂漠の蜃気楼。つかもうとするほどハマっていきます。

これが最後の「生き方/考え」の記事かもしれない

このブログの「生き方/考え」カテゴリの記事もこれで最後かもしれません。

なぜこんなことを言うかというと、それは上で述べた通り僕が言いたいことは「人生山あり谷ありだけど好きなように楽しく幸せに生きよう」という、ただひたすらに当たり前でシンプルなことしかないからです。

人はそれぞれ全く違うストーリーを織りなし生きてそして次の世代へと繋いでいくわけですが、どの人間であってもこの考えは大体一緒なんじゃないかなと僕は思っていて。

躓き挫けながらそれでも乗り越え日々成長しながら人生をより良くしようとして。その中でずば抜けた成果を残した人は賞賛され語り継がれますけど、そんな大それたことをしなくても、周囲の人にちょっとした幸せを与えることができたとか、なんかそれって最高だよね、と僕は思います。

僕がブログを書く更なる理由として自己顕示欲がかなり強いというのが言えます。ものを書くのは好きなのでブログはずっと続けるつもりですが、人生について書くのはなんかもうないかもしれないなと。

事例を載せることで勇気づけられて救われる人もいるのかもしれませんが、それはつまり前例を求めているだけと言うことができます。言い換えるならば、自分で新たな道を進み続ける勇気がないということの表明にしか過ぎないと解釈することもできるわけです。それぞれの自由ですけど、それってすごくつまらないと思いませんか。

自分の可能性を自分で狭めてはいけないと僕は思います。 

スマホばっか見てないで空を見上げてみようぜ

下を向いてスマホのすごく小さいスクリーンに目を凝らして、承認欲求を満たすためにSNSをやったり、なんとなくYouTubeを見て煽っているようなサムネイルに注意を奪われどうでもいい内容に数十分費やすよりも、コーヒーでも飲みながら明るい太陽の光を浴びて肌で風を感じながら空を見上げる方がよっぽど幸せになれますよ。マジで。

ごくたまに虹がかかっているのを見ることができると、すごくラッキーでハッピーな気持ちになります。雲も同じ形になることは2度とないし、常にうつろいます。まさに大自然の無限大のキャンバスとはこのことです。そして無料です!いくら見ていても、誰にも何も言われません。遠くを見ることで近視の予防になるおまけまであります。

そんなことを思いながらこの記事はここで終わります。

きゃべつ
日々思ったことをエッセイとして書いています。 2002年生まれ。男性。HSS型HSPらしいです。文系学部の大学2年生。 詳細はアイコンよりどうぞd( ̄  ̄) 音楽を作ってYouTubeに投稿もしています。
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