僕は過去にマキシマリスト(とにかくなんでも所有したがる)でした。物もデータも。本も紙で綺麗に揃えていました。
ところがある日ミニマリズムにハマって。ミニマリズムや片付け、シンプルライフに関する本は10冊は読んだと思います。
物を持たない暮らし、すっきりした生活、うわぁ、なんかかっこいいなぁなんて憧れて、僕は物を手放し始めました。
確かに部屋はすっきりしましたし、ミニマリズムのメリットとしてよく挙げられる掃除がしやすくなる効果もありました。そしてどんどん物を減らしていき、そしてある時突然虚しくなりました。心にポッカリ穴が開いてしまったというか。
なぜかと考えた時に、わかりました。僕はゲームが大好き(特に任天堂)なのですが、あろうことか3DSやWii Uを手放してしまったんですね。本体もソフトも。なんか、本当に悲しくなりました。「一体俺は何をやっているんだ!!??」と。
そんな元マキシマリストミニマリスト現ただの人間が思うミニマリズムの危険性について話していきます。一見理想のように見えるミニマリスト生活ですが、経験者である僕はおすすめしません。
そしてこれがこの記事を通して一番伝えたいこと。「自分が好きなものは絶対手放してはいけない」ということです。
Contents
ミニマリストと1つに括ることはできないのでは
人気の職業「YouTuber」ですが、youtuberといってもエンタメ系、教育系、炎上系、ゲーム実況、動物系、といったようにさまざまなジャンルがあります。そしてそれらのクリエイターをひとまとめにユーチューバーというのはもはや無理だと思います。何年も前ならそもそものジャンルが少なかったので1口にまとめることも可能だったかもしれませんが。
そのように、「ミニマリスト」といってもいろいろな種類のミニマリストがあるのではないかいうことに僕は気がつきました。それは、
- 極限型ミニマリスト
- 意識高い系なんちゃってミニマリスト
- 物が少ない生活を心から楽しんでいる人
- 貧乏人の自己正当化
です。
極限型ミニマリスト
これがわかりやすい、いかにもなミニマリストのイメージではないでしょうか。持ち物はiPhoneとMacBook、机もなくてただ寝るためのマットレスがあるだけ、みたいな。The 修行僧といったような感じですかね。
意識高い系なんちゃってミニマリスト
これはなんとなくミニマリストという言葉の雰囲気に憧れて、ちょっとだけ物を手放してみて自分はミニマリストだぜっ、と悦に入っている人です。
物が少ない生活を心から楽しんでいる人
自分が幸せな生活するにおいて必要な量を把握している人はこれにあたると思います。
貧乏人の自己正当化
最後はこれです。やや過激なタイトルですが、結構まとを得ているのではないかと思います。そして何を隠そう、僕はこのタイプのミニマリストでした。
詳しくいうと、別に僕は貧乏では全くないです。いま(記事投稿時)は親の扶養の元にとても有難いことに不自由なく生活しています。じゃあ何が貧乏人の自己正当化というのかというとですね。
僕には欲しいものややりたいことがたくさんあります。しかしそれを今全て実現し手に入れることは金銭的に無理です。ブログの広告収入では到底無理です。アルバイトをしたとしても無理です。そしていつまでも親に頼りっぱしの人生を送る気も全くありません。
そこで僕はどうしたかというと、「できないなら欲を消そう!」ということです。笑
いやほんとに笑えますね。出家したのかな?という。ミニマリストに活路を見出した僕は、猛烈に物を手放し始めます。いろいろな物を手放しました。僕はゲームが大好きなんですが、その大好きなゲーム機までも手放しました。これを書いている今も思い出して心が痛みます。
ゲーム機を手放すために、ゲームをやめるため()に、あろうことか「ゲーム 時間の無駄」「ゲーム デメリット」「ゲーム やめた」といったワードでGoogle検索をし始めました。そして20ほどのサイトを見ました。
依存症関連の本を読んで「ゲーム依存は怖いものだ」と思ったり、ゲームをやらない代わりに外に出る時間を増やしてみました。でも、どこか心は上の空で。
詳しい医学的な定義を僕は知らないですが、そもそもゲーム依存ってなんなのかと思います。たとえばずっとゲームをやっているのが依存というのなら、プロゲーマーは皆ゲーム依存(金銭的にも)症と言えるじゃないですか。
わかりやすいのはアルコールやギャンブル依存ですね。それらはなんとなく良くない、というのは誰にでもわかることだと思います。
最近だとスマホやネット依存というのもありますね。ですが、YouTuberやSNSを活用したビジネスで稼いでそれらからの収益だけで生活している人がいるように、何が依存症で何がそうじゃないのかわからなくなりました。
お金を稼いでいれば依存症ではないってことですかね?
自分の好きな物を否定してはいけない
ニンテンドーSwitchってあるじゃないですか。あれは携帯機にも据置機にもなります。僕はいつもモニターに繋いで遊んでいたのですが、「ミニマリストになるために」モニターをSwitchから外して収納にしまいました。そしてしばらくは携帯モードのみで遊んでいました。
そして3DSとWii U、たくさんあったゲームソフトを手放したところでハッっとしました。YouTubeで手放したゲームの動画を見るたびに心が痛くなりました。そこでようやく気がつきました。悟ったと言っても良いのかもしれません。
そもそも、人生に意味はないじゃないですか。(怪しい話っぽいですが僕は無宗教です)だから、意味がないからこそ自分で意味を与えて、常に幸せであり続けてその幸福を最大化して、それを他者にも広げていく、というのが僕の思う人生の意味です。
そう考えた時に、ゲームというのは僕の大好きな物であって、幸せをもたらしてくれます。つまり無駄では全くないわけです。もりもりのプラスです。
すごくシンプルな話でした。なのになぜか僕は自分の好きなものを否定しようとしていた。なんですかね、自分でも良くわからないです。ミニマリズムという一種の宗教的なものの思想の熱にやられて頭がおかしくなったのかもしれないですね。
危うく自分の大好きなゲームまで全て手放し否定するところでした。今ここで気がつけて本当に良かったです。これ以上進めていたらとんでもないことになっていたと思います。
まあもうちょっと真面目に書くと、僕は自分の将来に迷っていて、(誰もが人生には迷うものですよね?)「なるべく働きたくない」と思っていた時期がありました。そのためにミニマリストになって少ない生活で幸せに暮らしていこうと。実際そうやって暮らしているミニマリストの人はいるようですし。
でもどうやらそれは僕には圧倒的に向いていないようでした。
稼ぐことに対する勇気が足りていなかったというか、逃げていたというか。僕は別に他者の生き方に文句をつけるつもりはありません。ですが、一時期ミニマリスト関連の本をいろいろ読んだり、「ミニマリスト」のブログを読んだりしていた僕としては、この自己正当化系ミニマリストというのは一定数いるのではないかというのが思うところです。
別に、それらの生活をしている人を批判するつもりはまったくなくて、それでいい人はそれでいいと思います。ただ、僕にはこの「欲を抑える系ミニマリスト」の生活は耐えられなかったというだけの話です。
また、物がなくても「今に感謝することで満足できる」ということが言われていますが、できませんでした。多分欲が強いんでしょう僕は。
あくまでも「生活を豊かにする」手段の1つに過ぎなかったミニマリズムが、いつしか「物を極限まで減らすこと」が目的になってしまっていたことに気がつきました。
やっぱり人生は1度しかないので、やりたいことはすべてやりたいです。そしてそれを押さえつけるのではなく、どうやったら全てやることができるのか考えることにしました。大学2年になる前にこのことに気がつくことができたのは大きいです。
やりたいことを全て実現することが大変なのは想像に難くないですが、やりがいがあって燃えます。
何者かになりたいが、何者にもなれない人が安直にミニマリストに嵌る
「意識高い系」って言葉があるじゃないですか。過去に僕は意識高い系でした。最近はそうではないと思います。(そうあってほしい)
まあ、それはおいておいても、人間というのは何者かになりたいものではないかと僕は思います。現代の日本においては「学歴」というもので自分や他者を定義したがる人は多いのではないでしょうか。
「自分は何者なのか」「自分はこういう人間だ」と言えた方が安心しますからね。
そこで「ミニマリスト」というのは自分を定義できる手段の一つであるといえます。それも比較的簡単な。
「石油王」「アメリカ大統領」「イーロンマスクより金持ち」になるよりミニマリストになる方が遥かに簡単です。米国大統領に至っては生まれがアメリカでないといけないので日本人はほぼ無理ですね。
そして何を隠そう僕も御多分に洩れず「ミニマリスト」となることで自分は何者であるか定義しようとしていました。なんでしょう、一時的に自分に自信がなくなっていたんですかね、大学生になって社会を知れば知るほど自信が減っていく感覚はありました。だからこそ自信を取り戻すために、TOEIC満点といったわかりやすい資格のように、「ミニマリスト」というものに自分のアイデンティティを求めていたのではないかと。
ここで僕は思いました。そもそも何者かになる必要はあるのか、と。人間は人間であって何者でもないのではないかと。また、定義づけなんか簡単にいくらでもできると思いました。例えば僕だったら、
- ブロガー
- YouTuber
- ゲーマー
- ギタリスト
- DTMer
- 読書愛好家
- 筋トレーニー
- ITスペシャリスト
- 英語できる
これくらい思いつきました。別にどれもプロ、それだけで食べていけるレベルではとてもありません。しかし定義づけはできます。(かなり盛ってますが)
このブログの僕のプロフィールに書いてある、ENTJやHSS型HSPだって僕を定義づける要素の一つと捉えることもできるかもしれません。
無駄があるからこそ人間なんじゃないの
他にも、僕は自己啓発本の大家(笑)でした。カッコ笑というのが大事です。
いや、実際自己啓発本はとてもためになってきました。いかに時間を効率化するのか、とか、ライフハック大全みたいなのが好みです。(でした)
しかし最近思ったことがあって。それは
「別に人生ってそこまで合理的でなくてよくね?」
ということです。僕は貧乏性なのか生き急いでいるのか知りませんが、まあきっとそういうことなのでしょう、いかに効率良く生活するか、ということが人生の一番と言っていいほど大事なことでした。
でも思いました、効率良く生きてどうすんの、と。確かに効率が良いとより多くのことができるかもしれません。でも別にたくさんのことをしたから偉いわけでもなんでもないし、人間としての価値が変わるわけでもありません。
なるべく無駄をなくして効率を極める。たしかにスリリングで、いかにも「究極の人生」感があります。でもそんなことを突き詰めていったら人生そのものが無駄であるという発想に僕は至ります。そして別に究極になってもかめはめ波が打てるわけでもないので、僕は究極人間を目指すのをやめました。
無駄ってサイコー!
1年使わないなら使わない、いつか使うことはない、と言うが
よくミニマリズムの本に書いてあることとして、「1年使わないなら手放そう」ということがあります。これにしたがって僕も1年以上使っていなかったものは手放しました。
その結果後悔しました。
たとえば現代はYouTubeがあるので、その物を使って動画が作れるかもしれません。何か新しいアイデアが浮かぶことがあるかもしれません。
また、「思い出の品も思い切って感謝しながら手放そう」ということも言われていますが、マジでやめた方がいいです。僕も人からもらった手紙を捨ててしまったことがありますが、激しく後悔しています。別に手紙なんか大した場所もとらないのに本当に一体何をやっているんだろうかと自分で思います。ある時は高校の卒業証書を捨てようかと思って踏みとどまりました。
思い出は頭の中だけでいい、写真でいい、という考えもありますが、そんなことはないと思います。現物も大事。
ミニマリストのメリットとは
ここまでコテンパンにミニマリズムを叩いてきたので、最後に良いところを紹介します。と言いたいところですが、正直なところありません。あるとしたら、稼ぐ勇気がない人にはおすすめです、ということだけです。
メリットとして挙げられることも
- 掃除がしやすい → ロボット掃除機を買う あるいはクリーニング業者
- 災害に強い → 広い家に住む
- 感謝の気持ちを持てる → 物が多くても感謝はできる
- 自己肯定感が上がる → 物が多くても自己肯定感は持てる
- 節約になる → そもそも節約はそんなに尊いことなのだろうか
- 物欲がなくなる → なくなってどうする
- お金が貯まりやすい → その分稼げば解決
- 本当に好きなもの、ことがわかる → 物があってもそれはわかる
ということになるので、非常に残念ながら「メリットはない」というのが僕の結論です。過去の自分の行動を考えて心が痛みます。
最後に
マキシマリストもミニマリストも経験した僕が一番言いたことは、「自分の好きなもの、ことを否定するのは絶対にやめよう」ということです。
ミニマリズムというのは、人生の大きな選択の一つであると僕は思います。これはそれだけ現代社会が物を基礎にして成り立っているということですし、だからこそ物の管理に人は悩みます。
「ミニマリズム」とはなんなのか。それにただ一つの定義はなくて、生きている間に永遠に問い続ける哲学のようなものなのかな、というのが今のところの僕の結論です。そして僕はミニマリストをやめました。
過去に手放してしまった物はとても悔やまれますが、僕はミニマリズムをやらかしてしまった失敗として深く反省しまた日々を前向きに生きていきたいと思います。
この記事が何かの参考になれば幸いです。
ちなみに3DSとWii Uは買い直しました。( ´ ▽ ` )