前回の記事で「ありがとう自由!」と自由を称賛して、実際自由は最高に素晴らしいのですが、浪人時の感覚が抜けきらないというか、1年間も禁欲自粛の生活を送ってきたので、今、こう完全に自由でいることにどこか違和感があります。
自由であることが本来当たり前であることなんですけど。「これでいいのか!?」と思ってしまうんですね。あとは、何かを勉強していないといけないような気がしています。
やはり受験に毒されていた、ということだと思います。1年間で良くも悪くも僕は変わりました。
他にも、あまりにもいきなり受験生活が終わったので、「受験とはいったい何だったのだろう」と思っています。
あれだけ毎日、何かにとりつかれたように勉強し続けて、寝ても覚めても勉強のことを考えていて。
そしてそれがあるとき突然終わって。今、毎日やりたいことをやれていて僕は幸せなのですが、どこか寂しさを感じます。燃え尽き症候群ってやつだったりするのでしょうか。
まあ、まだ学生証すら貰っておらず入学式も何もないので、その大学の一員となった実感があまり沸いていないから、ということなのかもしれません。
Contents
合格までの軌跡
2020年1月から2021年3月までの僕の歩いてきた道を書きます。何かの参考にどうぞ。ちなみに、偏差値などは身バレを防ぐために書いていません。
進路を決めるまで
個別指導塾で勉強をしていました。当初は、数学と物理が全然できないわりに理系として情報工学を目指していました。コンピューターサイエンスに興味があったので。
その後「あ、これむず過ぎて無理だ」と気が付いたのと、「情報工学はほぼ男しかいない」ということを知ってしまい絶望したため、文転しました。
予備校の体験授業
友達と予備校の体験授業を受けに行きました。ずっと個別指導でも良いかと思ったのですが、「一緒に切磋琢磨できるライバルが欲しい」という理由で、集団授業の予備校に通うことにしました。
このころの僕は完全に大学受験をなめ腐っていましたね。受験に関する知識がないが故の勘違いというか。「こんなん余裕だろ」と本気で思っていました。
この後のつらさはつゆ知らず。。。
始まった映像授業生活
ついに予備校生活が始まったかと思いきや、新型コロナウイルスの影響で映像授業でした。
お目当てである一緒に上を目指す友人はできるはずもなく、一人で映像授業を見て、そしてYouTubeを見る、そんな生活を数か月間繰り返しました。
いや、その時の記事を今見返したんですが、めちゃくちゃなつかしい!(笑)↓

「こんなこと書いてたなぁ」と笑えました。
もう僕は浪人生、受験生として完全に脳が変化してしまったのかもしれません。
って書いてますが、今からしてもやはり脳が変化してしまったように感じます。。。
鉄壁
英単語帳に「東大英単語熟語鉄壁」というものがあるのを知っていますか。
僕はこれを浪人を始めた夏あたりまで真剣に使っていました。
中学の英単語も熟語もまだ覚えていないのに、、!
「単語と熟語を両方覚えられるから最強」と頑なに信じて疑わず、丁寧にマーカーを引いたりしてやっていました。
今からすると、完全にやり方を間違ってるといえます。
再開した対面授業
夏前であるこの頃には、対面授業が再開しました。
映像とは違う講師がいたり、同じ人がいたりしました。
映像授業で「この人面白くてわかりやすいなぁ」と思った講師が対面でも同じだったときはテンションあがりました。
めちゃめちゃ熱血な人もいました。なんだろう、どの講師もキャラがかぶっていることは一切なく、まさに個性あふれる人たちでしたね。ちなみに全員が良い講師というわけではなく、悪影響しかない講師もいました。
周囲の受験生をみてみると、これまたいろんな人がいました。超絶真面目に勉強している人、負のオーラがすごい人、全身から香水の匂いが強烈ににおう人、友達とただ喋っていて「何しに来たの」と言いたくなるような人。
特に印象的だったのは、リア充らしき人がいたことです。
予備校のクラス内で僕の周囲に座っていた男女がある日から話すようになっていたんですね。その2人は日に日に仲良くなっているようでした。授業が始まる前までずっと勉強と関係ない内容を喋っていて。
そして、ある日を境にその2人が予備校に来ることはありませんでした、、。
いろいろ察せることがありますが、まあなんか面白かったです。
対面授業が始まったことで様々な刺激を受けました。意外と楽しかったです。
この頃は、、、!
楽しかった夏期講習
映像授業を担当していた講師の人の授業があまりにもおもしろかったので、夏期講習の際、普段通っている予備校とは別のところにわざわざ数時間かけてその人の授業を受けに行っていました。
実際、授業はとても面白かったです。漫才を見ているようでした。ですが、面白かったものの、ただ「面白い」というだけで、覚えるべき内容が頭に入っているかというと、恐ろしいことにそうではありませんでした。
現実に気が付き、打ちのめされた日
第2回の模試が返ってきた僕はようやく現実に気が付きました。「このままじゃ合格できないんじゃね?」「さすがに遊んでる場合じゃないな」と。
「夏期講習は無駄だったんじゃないか!?」とすら思いました。
滑り止めにしようと考えていた大学がE判定だったからです。
正直、絶望しました。「実質2浪確定じゃねえか、、」「俺の人生もついにここまでか、、」と。
今までやってきたことは一体なんだったのだろうかと思い、心が苦しくなりました。
現実を叩きつけられました。「そんなに甘いもんじゃないよな…」と。
メンタルをやってしまい、翌日の午前3時まで起きていて、涙が勝手に流れてくることがありました。
あきらめずに前を向いた日
落ち込んでいても仕方がないと思い、ただひたすらに勉強をしていました。ご飯はさっさと食べ、すぐに参考書と向き合う。
この頃の僕はもう今までの僕とは別人かのように変わりました。ものすごく成長しました。
「鉄壁」はやめて、システム英単語Basicとシステム英単語を使い始めました。
浪人生活記を書くのもストップしました。
寝ても覚めても勉強。
いやぁ、今からするとよくあんなことやってたなぁ、できてたなぁ、と思います。
プレ模試E判定からの合格
プレ模試(試験前最後の模試)の結果がすべてE判定でした。これを見たときは本当に終わったと思いました。
「第一回が全部E判定で、最後もE判定なのか!?!?!?!?!?おい!!!!!なんなんだよ!!!?!?!?!!!あああああああああああああああああああああああああああああああああ」と。
ただ、そんなことをずっと言っていても何も変わらないので、「受かる受からない」「合格できないかもしれない」など何も考えず、ただひたすら勉強していきました。
そして、なぜすべてE判定であるかの理由もわかっていました。それは「英語、その中でも語彙が足を引っ張っている」ということです。
僕は私立文系で、残りの国語と政治経済に関しては、どの模試でもかなりいい線をいっていました。ですが、英語が圧倒的なボトルネックで、すべてE判定だったんですね。
なので、とにかく英単語をひたすらやりました。なんで12月にもなって英単語をやっているんだって感じですが、やるしかなかったのでやりました。
突然終わった1年間

僕は合格を勝ち取りました。
そうしたら、マスクをして電車に乗って予備校に通っていた日々が突然終わりました。
「あれは現実ではなかったのではないか」「あれは本当に自分だったのだろうか」と思う時があります。
浪人時の状況が今の自由な状況とあまりにもかけ離れすぎているためなのか、「嫌なことに耐えていた自分」というのを考えたくないのか。
なんなんでしょうね。嫌なことだけれどもひたむきにやっていた自分、ただ一つの目標に向かって熱を注ぎ続けた自分がたしかにいました。そしてそれは僕にとって人生初の経験であり、非日常でした。そんな日々が終わった、という。
まあ、受験生活はあまりにもつらかったので終わって、しかも合格を勝ち取れたので幸せなのですが。
あらゆるものを犠牲にして、勉強をして。
先日、予備校に通うために使っていた駅に行ったのですが、「ここはどこなのか」というほど、まったく空気感が別物でした。浪人の時とは真逆で、僕の心は軽く、すっきりとしていました。人間っておかれている状況でここまで変わるものなのだなぁ、と。
ネガティブで落ち込んでいる気分の時に恋愛ソングなんかを聞くと甘ったるすぎて気分が悪くなりますが、実際に素敵な恋人がいるときにはそれがすんなり受け入れられるものですよね。
今、僕にはどこか少し寂しさがあります。「これで終わりなのか」「終わったのか」と。
僕は浪人中、12月あたりから、「ただひたすら目の前のことをやる」と心に決めていました。「受かるのか受からないのか」「受からなかったらどうしよう」などは一切考えないようにしていました。
なので、本当にいきなり試験日がやってきた、という感じなんです。そしてあっという間に月日は経ち、いつの間にか終わっていた、という。
時の流れとは不思議なものです。
僕の体に現れた異変
1年間の過酷な生活で僕の身体に現れた異変をここにまとめておきます。
- 強迫観念的なもの(何度も戸締りを確認する、ポケットを確認する、など)
- 耳鳴り(キーン、ピー、という音)
- 体感5キログラム太った
- 離人症再発(離人症については↓)

最後に
僕は予備校から飛び立ち次のステージへと進みます。そして、また今年も予備校に入っていく人がいるわけで。なんだか不思議な感覚です。
「ついに俺も大学生活が始まるのか、、、」と。
まあいいや!ついにキャンパスライフが始まる!!
この記事が何かの参考になればうれしいです。